静寂の音楽性

雨音の美しさ

 ある授業の課題で「音楽とはなにか」というレポートを提出したことがある。その中で浪人時代に体験した話を書いた。勉強が思うように捗らず、将来に対する漠然とした不安を抱えていた僕は、参考書を放り出してベッドに横たわり、マーラー交響曲第4番を聴いていた。部屋の電気を真っ暗にして、目を瞑ってただ音楽に集中していたのだけど、急に雨が降り出して、途中から外の雨音が聞こえるようになった。特に気に留めず、マーラーと雨音が混ざりあった音を聴いていたのだけど、雨がポタポタ滴る音が次第に心地よくなって来て、最後の方になると、CDを停止して、雨音だけをじっと聴いていた。鬱々とした日々を送っていた自分にとって、それはとても気持ちが安らぐ時間だった。

 字義通り解釈すれば、音楽とは「音を楽しむ」という意味だ。その時の僕には、マーラーよりも雨音の方が心地よく響いた。「音を楽しむこと」が音楽の本質だとすれば、雨音を楽しむことも音楽的な行為だと言えるはずだ。そして、世界にはパッケージされた作品以外にも、たくさんの音楽が溢れているんじゃないだろうかという結論を書いたと記憶している。今から思えば、別に大した内容じゃないし、現代音楽やアンビエントな作品の愛好家には笑われそうな話だけど、これが10代の僕の実感だった。

音楽が理解できない

 今回はそんな音楽の意味について考える上で、とても興味深い話を紹介したい。ずいぶん前にAtlantic誌に掲載された大好きな記事です。

 タイトルは、「What it's like for a deaf person to hear music for the first time(聴覚障害者が初めて音楽を聴いたらどんな風に感じるのか)」。記事の主人公であるオースティン・チャップマンさんは、聴覚障害を持って生まれた。補聴器は聴力をいくらか補ってくれたけど、音の高さや音色までは感じることができず、音楽という概念が分からなかった。チャップマンさんはこう述懐する。

I've never understood it. My whole life I've seen hearing people make a fool of themselves singing their favorite song or gyrating on the dance floor. I've also seen hearing people moved to tears by a single song. That was the hardest thing for me to wrap my head around.

 

音楽が全く理解できなかったんだ。これまでの生涯を通じて、健聴者がお気に入りの曲を歌って物笑いの種になったり、 ダンスフロアでくねくね踊るのを見てきた。それに健聴者がたった一つの曲で感動して涙を流すのも見てきた。これは僕にとって理解するのが最も困難なことだったんだ。

最新技術で音楽初体験

 ところが最新の補聴器の助けを借りて、チャップマンさんの状況が一変。今まで聞こえなかった音が聞こえるようになる。そして、ある夜、友人に手ほどきを受け、音楽を初めて体験する。モーツァルトのレクイエムの一部である『涙の日』を聴いて深く感動した出来事を振り返っている。

That night, a group of close friends jump-started my musical education by playing Mozart, Rolling Stones, Michael Jackson, Sigur Ros, Radiohead, Elvis, and several other popular legends of music.

Being able to hear the music for the first time ever was unreal.

When Mozart's Lacrimosa came on, I was blown away by the beauty of it. At one point of the song, it sounded like angels singing and I suddenly realized that this was the first time I was able to appreciate music. Tears rolled down my face and I tried to hide it. But when I looked over I saw that there wasn't a dry eye in the car.

 

その日の夜、親しい友人たちが僕の音楽教育を突然始めたんだ。モーツァルトローリング・ストーンズマイケル・ジャクソンシガー・ロスレディオヘッド、エルヴィス、その他にもポップス界のレジェンドの音楽を聴かせてくれてね。

 

生まれて初めて音楽が聴けるのは、現実じゃないみたいだった。

モーツァルトの『涙の日』が流れた時、僕はその美しさに圧倒された。この曲のあるところで、まるで天使が歌っているように感じた。そして、生まれて初めて自分が音楽の価値を理解できたと不意に悟ったんだ。涙が頬を伝い、僕はそれを隠そうとした。でも、見渡してみると、車の中で泣いてない人はいなかったんだ。

お気に入りの音楽とは

 それからチャップマンさんはRedditに投稿し、ネットユーザーから聴いた方がいいオススメの音楽を教えて貰う。14,000以上のコメントが寄せられ、ビートルズやレッドツェッペリンなどの有名なバンドが上位を占めた。推薦曲第一位は、ベートーヴェンの『第九』だったそう(※一生かかっても聴き切れないほどの推薦を貰ったそうだが、チャップマンさんのトップ5はリンク先で見られます)。音楽が楽しめるようになった現在、お気に入りのジャンルはクラシックで、シガー・ロスレディオヘッドなども愛聴していると語っている。そんなチャップマンさんは、意外にも補聴器の電源をオフにして何も聴かないようにすることがあると言う。

"Ironically enough, I'm turning my hearing aids off more often than before." There are too many annoying sounds.

"Silence is still my favorite sound," he writes. "When I turn my aids off my thoughts become more clear and it's absolutely peaceful."

 

「皮肉なことだけど、前よりも補聴器をオフする機会が増えてるんだ」。世間にはイライラする音が多過ぎる。「静寂は今も僕の大好きな音だ」と彼は書く。「補聴器をオフにすると、思考がよりクリアになる。それは完全に穏やかな状態なんだ」

 まるでちゃぶ台返しのようだけど、僕はこのオチがとても好きだ。静寂が内包する豊かさを端的に物語るエピソードだと思えるからだ。逆説的な言い方になるが、静寂という無音に近い音の世界を楽しむことも極めて音楽的な行為と言えるだろう。僕自身も静寂や風の音や川のせせらぎが最も好きな音だ。音が持つ豊かさを心から楽しむことができ、この上なく穏やかな気持になることができるからだ。 

芥川也寸志の「静寂の美」

 最後に平野啓一郎『マチネの終わりに』の一節を紹介して終わりにしたい。ギタリストの主人公・蒔野が静寂の心地よさに浸りながら、少年時代に読んだ芥川也寸志の『音楽の基礎』を思い返しているシーン。静寂が持つ美しさを前に立ちすくむ音楽家の姿が描かれている。チャップマンさんが感じた静寂の美しさが文学的な修辞で別の角度から見事に表現されていると思う。

静寂。――蒔野はそれを、改めて、なんと心地良いものだろうかと感じた。
「音楽は、静寂の美に対し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。」
 少年時代の彼が、初めて、音楽を概念的な言葉とともに理解した芥川也寸志の『音楽の基礎』。彼は、父と一緒に読み、かつては肝に銘じたその定義的な一文を反芻して、少し首を傾げた。

『半世紀前の東京は、まだそんなに静かだったんだろうか。東京というか、この世界そのものが。……』

 

平野啓一郎『マチネの終わりに』

チームスポーツが苦手だ

 スポーツには水泳やランニングのような純粋な個人競技と野球やサッカーのようなチーム競技がある。世間では規律や社会性を身につけるために、特に後者のスポーツが重視されているようだ。結論から言えば、僕はこのチーム競技が幼い頃から苦手だ。親の勧めや兄弟の影響もあって、野球、サッカー、バスケットボールなどに挑戦してきた。しかし、どれも長続きせず、途中で挫折してしまった。もう少し頑張っていれば、物事を継続し、最後まで貫徹する大切さを学ぶことができたのかもしれないが、いまもう一度やり直すことができたとしも、結局また途中で辞めてしまうと思う。人間は簡単には変われない。もういい歳なので、自分という人間の適性や偏屈さがよく分かっている。

 

 村上春樹もチーム競技が苦手だと書いてた。予想通りと言えばそれまでだけど、世界のムラカミもそんな風に考えるんだと思ってほっとした覚えがある。

 僕はチーム競技に向いた人間とは言えない。 良くも悪くも、これは生まれつきのものだ。 サッカーや野球といった競技に参加すると(子供の時は別として、そういう経験は実際にはないけれど)、いつもかすかな居心地の悪さを感じさせられた。 兄弟がいないことも関係しているかもしれないが、他人と一緒にやるゲームにどうしてものめり込めない。 またテニスみたいな一対一の対抗スポーツもあまり得意とは言えない。


 スカッシュは好きな競技だが、いざ試合となると、勝っても負けても妙に落ち着かない。 格闘技も苦手だ。


 もちろん僕にだって負けず嫌いなところはなくはない。 しかしなぜか、他人を相手に勝ったり負けたりすることには、昔から一貫してあまりこだわらなかった。 そういう性向は大人になってもおおむね変わらない。 何ごとによらず、他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。 それよりは自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか---そちらの方により関心が向く。 そういう意味で長距離競争は、僕のメンタリティにぴたりとはまるスポーツだった。 

 

走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹

 

 いかにも村上春樹らしく、達観しているというか、一貫性があるというか、読んだ当時妙に納得した。「まるで自分の気持ちを代弁してくれているようだ」という感覚を読者に与えるのが村上作品の最大の魅力だと思う。その術中にまんまとハマってしまったのだ。ただ、この文章に大いに共感しつつも、僕はもちろんここまで割り切って考えることはできない。僕がチーム競技に感じる違和感には、もう一つコミュニケーションの要素がつき纏っているからだ。

 

 僕は非常に内向的な性格だ。そんなひきこもり気質の自分は、仲間と円滑にコミュニケーションを取りながら、チームに貢献することがうまくできなかった。それにチーム競技の残酷さにいつも苦しんだ。上手い選手と下手な選手は一目瞭然で、そこには圧倒的なヒエラルキー(暴力と言ってもいいだろう)が存在する。足が遅かったり、ミスが多い人間は、周囲からの絶え間ないダメ出しに晒される。コーチもチームメイトも容赦しなかった。それが僕が感じたチームスポーツの怖さだった。スポーツが得意というだけで、一部の人間は威張り続け、一部の人間は怒鳴られ続ける。その暴力性が恐ろしかったのだ。

 

 僕がいま好きなスポーツは、水泳と自転車とランニングだ。迷わず即答できる。いわゆる有酸素運動だけど、自分が設定した目標を目指して、自分のペースでもくもくと取り組めるのが性に合っている。チームスポーツに感じた暴力性やヒエラルキーとも無縁。穏やかに自分と向き合う世界、それが何よりも好きだ。もちろん現在でも機会があれば、フットサルやバドミントンのダブルスなどをすることがある。レクリエーションとして楽しんでやる分には気が楽だ。しかし、そこに強い競争原理が働き、得手不得手の圧倒的な断絶が生まれたなら、僕はやはりそこからドロップアウトしたくなってしまう。ナイーブだとか、プライドが高いと言われれば、返す言葉はない。でも、運動が苦手な人の中には、分かってくれる人がいるんじゃないかという気もする。もしそうだったら、とても嬉しいです。

時間と幸福感

時間を買うと幸福度アップ?

 米国の研究グループが人間の幸福に関する最新の調査結果を発表した。そのリポートによると、「モノよりも時間を買った方が幸福度が上がる」傾向が強いようだ。BBCの記事から引用してみたい。

In an experiment, individuals reported greater happiness if they used £30 ($40) to save time - such as by paying for chores to be done - rather than spending the money on material goods.

 

ある実験の中で人々は40ドルを使って時間を節約する(例えば、やる必要がある雑事にお金を払う)方がモノに同額を費やすよりも幸福度が上昇したと述べた。 

 この調査は、アメリカ、カナダ、デンマーク、オランダに在住する6000人以上の成人へのアンケートに加え、カナダのバンクーバーで働く60人に対する2週間の実験が含まれた。

On one weekend, participants were asked to spend £30 ($40) on a purchase that would save them time. They did things like buying lunches to be delivered to work, paying neighbourhood children to run errands for them, or paying for cleaning services.

 

週末に参加者たちは、40ドルを使って時間を節約する買い物をするように依頼された。彼らは職場まで配達して貰えるランチを買ったり、お小遣いをあげて近所の子供たちに雑用をさせたり、クリーニング・サービスにお金を払ったりした。

 

On the other weekend, they were told to spend the windfall on material goods. Material purchases included wine, clothes and books.

 

別の週末には、思いがけず得たお金でモノを買うように指示された。購入品には、ワイン、洋服、書籍などがあった。

 その結果、時間に対するストレスが減少したため、時間を買った前者のケースの方が幸福度が上がったと結論付けている。ただ、冷静に考えると、これはある程度、当然の結果のようにも思える。モノを買って得られる幸せは、一過性の場合が多いだろうし、モノが増えると管理コストが増えてストレスが溜まる。そもそもモノが手に入れば幸せになるという発想自体にバイアスがあるんじゃないだろうか。

時間欠乏症(time famine)

 この調査が実施された背景には、世界中で起きている慢性的な時間欠乏症(time famine)への問題意識があるようだ。

Psychologists say stress over lack of time causes lower well-being and contributes to anxiety and insomnia.

 

心理学者が言うには、時間不足のストレスは、健康状態の低下を引き起こし、不安や不眠症の原因となる。

 

Rising incomes in many countries has led to a new phenomenon. From Germany to the US, people report "time famine", where they get stressed over the daily demands on their time.

 

多くの国々での所得の上昇は、新しい現象を生み出している。ドイツでも米国でも人々は「時間欠乏症」(time famine)を訴えており、自分たちの時間に対する日々の要求にストレスを感じている。

 時間不足には、二つの側面があるように感じる。まず、仕事や家事が多忙で時間が足りず、自力で改善するのが難しいケース。この場合は、リポートにあるように、ある種の雑用を外注できれば、楽になるのかもしれない。 

 もう一つは、やりたいことが多過ぎる(と思っている)ケース。例えば、早起きしてジムで汗を流したり、仕事の後も勉強会や飲み会に参加したり、週末も予定でいっぱいだったりする人は少なくないと思うけど、あまり詰め込み過ぎると時間が足りなくなるのは仕方ないだろう。個人的には、メディアの「これもすべき!あれもすべき!」というメッセージからは距離を置いて自分のペースで生きるのがいいと思うな。

お金と時間の優先順位

 時間が足りない原因は、もちろん仕事だけではないはずだけど、労働時間とそれに付随する行為(通勤など)が日常生活の大半を占めるのも事実。これは改めて考えてみると不思議な感じがする。お金を得るために時間を費やして働いたのに、今度は幸せになる鍵は時間をお金で買い戻すことだとリポートは示唆しているからだ。要するに、時間配分の問題で、仕事もほどほど頑張って、プライベートもほどほど楽しんでってのが理想なんだろうけど、長時間労働が深刻な日本では、労働と余暇のバランスが正常値から大きくズレているはずだ。僕はあまり偉そうなことが言える立場にはないけど、BBCの記事はこう締めくくっている。

Past research has found that people who prioritise time over money tend to be happier than people who prioritise money over time.

 

過去の研究によれば、お金よりも時間に優先順位を置く人の方が時間よりもお金に優先順位を置く人よりも幸せを感じる傾向があることが分かっている。

奴らが結婚するのは、他にすることがないからさ

 ローリング・ストーンズの『Flowers』(1967年)に"Sittin' on a Fence"という隠れた名曲が収録されている。69年に不慮の死を遂げたブライアン・ジョーンズハープシコードを担当したアコースティック調の切ないバラードだ。タイトルの"Sittin on a Fence"は成句表現で、フェンスの上に座って、グランドの右側にも左側にも下りず、傍観している「どっちつかず」の状態を表している。この曲は歌詞の印象が強烈で、初めて聴いた時からずっと頭を離れない。

All of my friends at school grew up and settled down
学生時代の友達は、みんな大人になって落ち着いた
And they mortgaged up their lives
自分たちの人生を抵当に入れちまったんだ
One things not said too much, but I think it's true
誰もが口にすることじゃないが、これは本当のことだ
They just get married 'cause there's nothing else to do, so
奴らが結婚するのは、他にすることがないからさ
 
I'm just sittin' on a fence
だから俺はどっちつかずなのさ
You can say I got no sense
馬鹿げてると言えばいい
Trying to make up my mind
決心しようとするなんて
Really is too horrifying
本気でゾッとする
So I'm sittin on a fence
だから俺はどっちつかずなのさ(拙訳)

 ストレートに解釈すると、いわゆるモラトリアム期間の延長が歌われている模様。記事のタイトルにした「奴らが結婚するのは、他にすることがないからさ」というフレーズが特に辛辣で、最初に聴いた時、ショックを受けたのを覚えている。きつい言い方するなあって(汗)。50年も前の曲だけど、若年層の就労問題やら青年期の長期化やらが社会問題化する現代でも、この歌詞の有効性や普遍性は失われてないんじゃないかな。どうも自分の中でイメージが重なるようで、この曲を聴くと、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公ホールデン・コールフィールドを思い出す。大人や世間を"phony"(インチキ)と徹底的に毒づいたホールデンとの共通点を何だか感じる。最終的にホールデンは心を病んだようでサナトリウムで療養することになったのだが。